都会は、いつも時間に追われています。
数分刻みで動く交通機関はもちろんのこと、季節ごとに変わる洋服の流行や、何かあるたびに変わっていく話題のテーマ。
ほんのしばらく情報から離れていただけで周囲にはついて行けなくなってしまいます。
都会は、決して停止することがありません。
自分が本当に知りたいこと・やってみたいことではないとしても、ある程度は周囲の流れに合わせていないと見放されたような気分になってしまうことさえあります。
人の動きから目をそらす暇がありません。
ところで、流行って何だか知っていますか?
実は、流行というのは「現に流行っている、という現象」ではありません。
洋服なら洋服のメーカー・販売店が、ファッション雑誌などの流通促進媒体の人々と相談した上で「今年の流行はこれにしよう!」と決めているに過ぎません。
ファッション誌に「今年の秋は赤いカーディガン」と書いてあったら、メーカー・販売店側が今秋は赤いカーディガンを売りたいんだということです。
ですが、雑誌にそういった記事が載れば、人々は競って赤いカーディガンを買い求めますから、結果的には本当に流行するわけですね。
これが流行の本質です。
情報に敏感な人々が集まる都会は、こういった流れを実行してゆくためのマーケットとして利用されているのです。
むろん、この流れに乗るのが楽しいという人だっているはずで、それも一つの選択だと思います。
ですが、速い流れの中で揉まれて疲れてしまったという人もまた、いるはずですよね?
そういった人に伝えたいのが今のお話です。結局、都会を回転させる情報というのは、マーケットを支配する層によって発信された情報に過ぎないということなんです。
何も、無理して周囲に合わせるほどのものではありません。
個々人が、自分にとって必要な情報だけを集めれば良いはずなのです。
しかし、情報があふれかえる都会に住んでいると、たとえ耳をふさいでも多くの情報が舞い込んできます。
田舎では、このようなことはありません。
流行に踊らされることなく、自分の時間を満喫出来ます。
日本全国で標準となるほど流行するのは、都会で流行した多くの対象の中でも特に人々に受け入れられた一握りだけです。
それ以外の情報は、都会で生み出された後、すぐに都会で消費されて終わっていきます。
田舎暮らしではそんな消費レースとは無縁な環境で、いつも通りの生活を続けているのです。
これをメリットと取る人もいれば、最新の流行に参加できないことをデメリットと捉える人もいるでしょう。
ですが、都会に疲れ果てた人々にとって、周囲に踊らされずにゆとりをもって過ごせる田舎暮らしの環境は、何にも代えがたい大切なものではありませんか?