小津安二郎と「無藝荘」
小津安二郎が昭和30年代から利用していた別荘は「無藝荘(むげいそう)」と名付けられた茅葺きの大屋敷でした。もともとは戦前に諏訪地区の製糸業で財を成した人物の旧家を改装した建物で、大木戸やくぐり戸が設えられ家屋の内部は囲炉裏があるといういにしえの日本家屋そのままの建築様式で建てられた趣のある別荘でもありました。
小津監督の別荘「無藝荘」は脚本執筆の場所であると同時に、彼と交友関係にあった各界の著名人たちと語らう場所を兼ねていました。彼が蓼科に初めて訪れた昭和29年から昭和43年までに至る14年間の記録はのちに「蓼科日記」として編纂され、日本映画の巨匠・小津安二郎の創作過程を知る貴重な資料ともなっています。ちなみに、日記には蓼科が「まことに佳境」と表現されており、この地に寄せる名匠の強い思慕の念をうかがい知ることができます。
なお、「無藝荘」は小津安二郎生誕百年にあたる平成15年に実際の場所より100mほど離れた「プール平」に移築され、現在は小津記念館として一般に公開されており、毎年全国から小津ファンが訪れています。