「九年庵」と壮麗な庭園の完成

明治42年に完成をみた庭園は築造に9年の歳月を費やしたことからのちに「九年庵」と呼ばれることとなり、個人所有の別荘・庭園としては佐賀県のみならず北部九州では最大規模といわれています。

伊丹弥太郎の総指揮のもとに設計された別荘は茶室と書院を備えた「数奇屋造り」と呼ばれる純和風の建築様式で建てられており、杉皮の腰張りの土壁に竹格子の連小窓、真竹製の濡れ縁、そして入母屋葦葺きの屋根という、材料と材質に徹底的にこだわった現代では容易に見ることのできない、まさに歴史的財産といえる趣の建物となっています。

その別荘周りを囲む庭園は四季の移り変わりを実感できる草花と樹木が植えられ、庭園から別荘に向かう小路の脇には苔が敷き詰められており、まるで深緑色の絨毯と見まがうばかりの景観となっています。「九年庵」は現在、深緑に萌える春と紅葉が輝く秋に一般に公開されており、「吉野ヶ里遺跡」にも近いことから毎年数多くの観光客が訪れる佐賀県有数の健勝地となっています。

壮大な浪速商人・加賀正太郎

前のページ

次のページ

コメントは受け付けていません。