近代国家へと導いた政府の重鎮

このように地理的にも歴史的にも別荘としての好条件を兼ね備えていた大磯には、日本の近代史に名を残す大物政治家ゆかりの別荘が数多く建てられており、現在でもその名残をみることができます。たとえば初代内閣総理大臣・伊藤博文をはじめ、第二次大戦後、敗戦国となった日本の復興に尽力した名宰相・吉田茂もこの大磯に別荘をかまえていました。

自由党党首として辣腕をふるい、首相の座を射止め、保守政党の重鎮として多大な影響力をもっていたワンマン政治家・吉田茂は、大磯の別荘を拠点として官僚や若手政治家に薫陶を与える「吉田学校」と呼ばれた座を設けていたほどです。吉田が政界を引退したのちも政治家たちの間では「大磯」といえば吉田の別邸を指す隠語として用いられていたという逸話も残っているほどです。

そのほかにも別荘地としての大磯を気に入っていた政府の要人は多く、例を挙げれば、外務大臣や総理大臣など政府の要職を歴任し、早稲田大学の創立者でもある大隈重信をはじめ、「日本軍閥の祖」と称された立身出世の見本的人物・山縣有朋や新潟府知事から貴族院副議長を経て、二度も内閣総理大臣の座についた大勲位侯爵の西園寺公望、幕末期の武士あがりでありながら、外務大臣として活躍し「カミソリ大臣」との異名もとった陸奥宗光など枚挙にいとまがありません。

ご存じのとおり、これらの人物はいずれも日本の近代化に大きく貢献したそうそうたる重鎮ばかりです。まさに日本の政局の行方を左右するほど重要な役割を果たした場所が大磯であったともいえるのではないでしょうか。

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