にっぽん別荘めぐり
温泉が湧き出る絶景の別荘地「那須高原」
火山地帯が多い日本では、温泉が湧き出る地域が全国に散在しています。しかしながら、付近に有名な温泉があり、同時に避暑・別荘地として適した気候の場所という環境を持つ地域となるとそれほど多くはありません。その理想的環境の土地のひとつによく挙げられるのが「那須高原」です。今回は絶景の温泉地として知られる那須高原の全貌を紹介しましょう。
関東エリア有数の観光地
那須高原とは、栃木県の北部に位置する那須岳の南部に広がる比較的傾斜がゆるやかな一帯の高原地帯を指します。那須高原が日本史に記録されているのはかなり古く、今から1400年近くも前の時代この地帯一帯に発見された温泉郡がのちに「那須七湯」と名付けられました。温泉の効能は昔から知られており、那須高原は湯湯治ができる恰好の保養地として利用されてきたという長い歴史を持っているのです。
栃木県では唯一の活火山地帯で標高1,915mの那須高原はしのぎやすい典型的な高原性気候でもあり、夏場の高温多湿で不快指数の高い日本の都市部を避けるための最適な場所として知られています。白煙を挙げる威風堂々とした火山群は辺り一帯を圧倒する景観となっており、快適な気候とともに見事な景色と周辺地域に開発された数々のレジャー施設もあることで、毎年多くの人々が訪れ、関東地方でも有数の観光産業が活性化しているエリアでもあります。
宿場町から保養地として発展
江戸時代には将軍や大名などの権力者が中心となって、那須高原を湯湯治に利用していましたが、江戸時代の中盤になると、金持ちの商人なども長期の休暇や病気療養の場所として那須高原に訪れるようになりました。そして、この風習が次第に庶民にも伝搬し、江戸時代末期にはかなりの数の民衆が湯湯治に訪れるようになったことから、周辺には湯湯治客を宿泊させる宿屋が軒を並べる宿場町として発展していくこととなります。
こうして、那須高原一帯は江戸時代にはすでに関東エリアの庶民にとっては身近な的な保養地となっていたのです。江戸時代は一部の権力者による圧政に苦しめられる庶民という過酷な身分制度の構造があった反面、庶民の憩うこのような温泉地があったこともまた歴史の一側面なのです。
関東エリアでは現代の東京であるかつての江戸から比較的近い那須高原は恰好の休息の場所ともなっており、のちに花開く日本の温泉文化や別荘文化の源流がこの那須高原にあるといってよいかもしれません。江戸時代が終焉し、明治から大正時代にかけても温泉の発見は続き、現在では那須十一湯と呼ばれる一大温泉地帯となっており、付近に数多くの温泉がある避暑・別荘地としては那須高原が日本では最大規模ともいわれているほどです。
昭和30年代に東北自動車道が開通し、交通の便が飛躍的に向上したことでそれまで温泉地として知られていた那須高原は、富裕層を中心に別荘地としても注目されることとなります。昭和50年代後半からは日本全国に土地投機ブームが訪れ、さらに昭和57年に東北新幹線が開通して東京から那須高原までは日帰り旅行も可能となったことで、資産価値の高い那須高原は優良な不動産物件として投資目的の企業や資産家による土地売買が増加していきます。