にっぽん別荘めぐり

日本で最も有名な別荘地「軽井沢」

「行ってみたい避暑地」あるいは「別荘地として選びたい土地」としてダントツの人気を誇る場所が長野県佐久地方の「軽井沢」です。「軽井沢」という地名の響き自体が心地よいそよ風を感じさせるほどにさわやかなイメージが日本人に定着しています。地元では「かるいさわ」とも呼ばれる軽井沢がいかにして日本で最も有名な別荘地となったのか、過去から現代にいたる軽井沢の郷土史と環境の変遷をたどってみましょう。

宿場町から別荘地へ

浅間山を望む雄大な景観の地域として知られていた軽井沢地方一帯は江戸時代に中山道の主要な宿場町として大いに栄えました。しかし、日本各地の宿場が廃れてしまった明治維新以降は軽井沢は単に長野県東部の地域名として記憶されるに過ぎない存在となっていました。その軽井沢が別荘地として変容していくきっかけとなった人物が明治中期にカナダから来日したキリスト教宣教師のアレクサンダー・ショーです。彼が明治21年に大塚山の旧家を改造して避暑地として利用したことが別荘地・軽井沢の歴史のはじまりとされています。

ショー宣教師が軽井沢に滞在していた時期には信越本線・長野駅が開設され、交通の便が向上したことで明治26年には初めての日本人所有の別荘も建てられ、宿場町としての機能を失い荒廃しかけていた軽井沢地方は避暑・別荘地として発展することとなります。

明治の新政府は日本の近代化政策の一環として西洋文明を積極的に取り入れたるために西洋から多くの技術者・文化人・知識人たちを迎え入れました。東京からそれほど遠くなく、標高約1,000mの土地で年間平均気温が摂氏8度未満という軽井沢地方は西洋人の眼には恰好の別荘地として映ったのです。夏場の高温多湿という日本の気候に馴染めない西洋人にとって、各段にしのぎやすい軽井沢の気候とみずみずしく豊かな自然環境はまるで北欧の景色を想起させるほど美しく快適で、まさに砂漠のオアシス的感慨があったと思われます。

高度成長期にレジャースポットとして発展

明治後期から大正期にかけて、軽井沢には西洋の知識人たちが頻繁に訪れるようになり、彼らの別荘と豪華な西洋建築のホテルが次々に建てられました。深い緑の樹木の中にたたずむ壮麗な別荘と重厚な趣のあるホテルの建物はまさに日本の自然と西洋文明との融合を象徴する景観として知られるようになっていきます。そして日本有数の大手鉄道・レジャー産業グループ企業による大規模な開発が進み、ゴルフ場や乗馬施設なども完備され、西洋知識人と日本の貴族階級・富裕層が好む避暑地として軽井沢の名は庶民にとっての憧憬の地として広まりました。軽井沢という地名の響きの変遷は、欧米先進諸国と肩を並べるほど国力を成長させて来た日本の近代史を象徴しているともいえるでしょう。

時代が昭和に入ると開発には拍車がかかり、軽井沢の地名は避暑地・別荘地として形容されることが国民の間に完全に定着します。平成25年に公開され大ヒットしたアニメ映画「風立ちぬ」には主人公が軽井沢で資産家や外国人と交流する様子が描かれています。

しかしながら、軽井沢の別荘群は戦後の一時期、進駐軍の保養施設として接収され、浅間山山麓が在日米軍の演習地の候補に挙がり、周辺環境が悪化しかけたこともありました。すると、この情況を憂い軽井沢の真価は環境の浄化と静謐な周辺環境を維持することにあるとの使命感を持った地域住民の努力により、昭和26年に「軽井沢国際親善文化観光都市建設法」が制定され、軽井沢地方は国際文化交流の重要スポットとして国から位置付けられたのです。軽井沢一帯の景観が国家によって保護されることとなったのは日本の別荘地史上、特筆される出来事といってよいでしょう。

最高のステータスを誇る別荘地

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