夏目漱石も絶賛した景観の山荘

別荘は加賀正太郎自身の設計によって大正6年(1917年)に完成しました。建造にあたっては別荘を望む山に塔屋を建てて、そこから加賀正太郎が建築工事の指揮をとったといわれており、何ごとにおいても完璧さを求め、徹底的にこだわり抜いて行動する性格であった加賀正太郎の性格がここにも表れています。なお、この塔屋は現存しており現在では「白雲楼」と呼ばれ、別荘を含む呼称として定着しています。

別荘の建物だけでなく、別荘を囲む庭園にも加賀正太郎の美術的センスが随所に発揮されており、樹木と草花そして人工池が天王山の大自然と見事に調和し豪華でありながら日本古来の侘び寂びの文化を感じさせる美しい庭園となっています。加賀正太郎の知人でもあった文豪の夏目漱石は別荘の工事中に訪れ「宝寺の隣に住んで桜哉」という句を詠んでいます。

別荘はその後拡張され、昭和4年には当時別荘では異例の鉄筋コンクリート構造となって昭和4年に完成しています。現在では加賀正太郎の別荘は美術館となって毎年多くの観光客が訪れる京都の名所となっています。

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