最近の社会を見ていると、なんだか哀しくなることはありませんか?
どことなく殺伐とした印象で、人情なんていう言葉とは無縁に思えてしまいます。
ですが、まだ日本全国で、この人情が失われたわけではないと思います。
やはり、田舎には今も「向こう三軒両隣」などと表現される地域のコミュニケーションが残っていますから。
ただ、これは何も都会を批判しているのではありません。
都会の状況を考えれば、そういった他人同士の人間関係が希薄になるのは当然だからです。
都会に住んでいるからといって、誰を相手にしても殺伐としたオーラを放っているわけではありませんよね?
みんな、友達や家族の前では自然にコミュニケーションを取っているはずです。
別に、都会人にコミュニケーション能力がないというわけではありません。
多くの人が集まる場所で、全体とのコミュニケーションが薄まっていくのは当然のことなのです。
例えば、あなたが無人島に流されたとしましょう。
そこで誰かと二人なら、何とか協力しようと、互いに仲良くなる努力をすると思います。
この時、気が合うとか合わないとかは言っていられません。
状況が状況ですから、相手の良いところを見つけて、一緒に生きていきますよね?
では、三人ならどうしますか?
時には一人と二人で対立してしまうこともあるかもしれませんが、やっぱり仲良くやるでしょう。
四人や五人でも、だいたい一緒だと思います。
ですが、二十人くらいになると、状況が変わると思いませんか?
場合によっては半々に分かれて衝突することもあるでしょう。
意見の違いから派閥が出来て、長いこといがみあうこともあるかもしれません。
これが百人になったら?
千人、一万人ならどうですか?
人数が増えれば増えるほど、全員と仲良くやるのは困難になっていきます。
同時に、全員と仲良くできなくたって特に問題がなくなるという面も出てくるでしょう。
田舎と都会の違いも、これと同じことではないでしょうか?
結局、人情の有る無しというのは個々人の善悪や判断によって異なるのではなく、環境次第で変わってくるものだと思うのです。
人は常に、自分の置かれた環境の中でうまく渡っていくために最適な自分になるよう適応しながら生きています。
そのため、どんな人でも田舎暮らしでは人情深く、都会ではシステマティックに日々を送ることにならざるを得ません。
それが、その場所で暮らしていくために最適な態度だからです。
ですから、人情味のない人などいないのです。
人情味を発揮しやすい環境と、そうでない環境があるだけなんですね。
もし、あなたが人情味溢れた社会にあこがれを持っているなら、
ヒューマニズムを再確認したいと考えているなら、
一度は田舎暮らしをしてみると良いかもしれません。
そこには、懐かしい人と人のつながりがきっと残っていることでしょう。