「鎌倉文化人」が形成される

関東地方を拠点とする多くの人気作家たちが選んだ小説の執筆に最適な場所が鎌倉であり、彼らは執筆のたびに鎌倉の旅館に長期宿泊していましたが、やがて鎌倉こそ居住にも適した土地と判断して鎌倉に転居したり別荘を建造したりする詩人や小説家が増えていきます。

彼ら文学者たちは、お互いの住居や別荘に集い、大いに親交を深めていきます。やがて彼らのグループは「鎌倉文化人」と呼称されるようになり、日本の文学史にも大きな影響を及ぼす存在となっていきました。鎌倉は、まさに人気作家を中心とする日本の代表的文学者を育んだ土地といえるでしょう。

鎌倉市南部の相模湾に面した絶景の地・由比ヶ浜に住み、明治から大正にかけて活躍した俳人で作家でもあった高浜虚子は「波音の由比ヶ浜より初電車」という句を残しており、この句を刻んだ石碑を江ノ電の沿線沿いに見ることができます。

明治の文豪・夏目漱石は鎌倉市内にある臨済宗円覚寺派の総本山「円覚寺」に参禅し、隣接した登所の帰源院に宿泊した際の体験が、名作「門「夢十夜」に描写されていることでも有名です。

歴史と文化の古都・鎌倉に魅了されたのは外国人も同様で、鎌倉にこそ現代に脈絡と連なる日本文化の潮流があると認識していた海外の要人や知識人も多く、戦後にはデンマーク公使が旧加賀藩藩主前田家の15代当主・前田利嗣侯爵の別荘を借りていたほどです。

ちなみに、この前田家の別荘にはのちに昭和を代表する作家の三島由紀夫が取材に訪れ、名著「春の雪」の中でこの別荘に言及しています。他にも、この前田侯爵の別荘は有名作家の川端康成や永井龍男、今日出海、里見弴、そして文芸評論の大家・小林秀雄などもたびたび訪れており、鎌倉文学を象徴する存在として有名になりました。

鎌倉文学館の設立

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