壮大な浪速商人・加賀正太郎
明治時代に生まれた世代には、大正から昭和にかけてのちに大企業となる会社を一代で興した実業家が数多くいます。「浪速商人(なにわあきんど)」の呼称で知られる商人の町・大阪は、庶民が各商店を敬愛する風土であり、そこで働く商人(あきんど)たちが育つ独特の商人文化が高度に発達していました。
明治21年(1888年)に大阪で生まれた加賀正太郎(かが・しょうたろう)もそのような浪速商人の家庭に育ちました。若くして父親を亡くした加賀正太郎は弱冠12歳にして家業の商店を継ぐと、天賦の商才を発揮して店を繁盛させます。そして成人してからは証券会社などへと事業を拡大し、現在のニッカウヰスキーの前身である大日本果汁の筆頭株主となり、関西経済界の重鎮的存在となります。
蘭の栽培など多趣味な才人として知られた加賀正太郎は青年期に本格的な登山に没頭し、アルプス山脈の高峰・ユングフラウの登頂も果たしています。大自然と植物を愛した彼は多忙な事業で疲れた身体を癒す場所として、京都府乙訓郡大山崎町にそびえる名山・天王山の山麓に広大な土地を購入し、真言宗の寺院「宝積寺」のそばに別荘を建てます。